暖かい闇

酒と食事と過去

2019年11月飲食雑記

 だんだんと寒くなってまいりました。皆さんもご自愛ください。

 この一週間世界と自分との噛み合わせが悪い。がんばっても休んでも空転してしまうようで、致命的と言うほどではないがちょっとした齟齬が立て続けに発生している。書くほどでもないし人に言うほどでもない小さなエラー。どうすりゃいいってんだい!こうやって、小さな不安が積み重なって、大きな、漠然とした不安に成長していく。そうなっては遅い。もう遅い?あったかい風呂にゆっくり入るとか、お薬を飲んであったかい布団にくるまってじっとしてるとか、そういう対処療法はもちろん必要だけど、なにより自分と向き合う時間が必要だ。幾重にも重なりあって鳴り響く雑音の層を一枚一枚剥がしていく内省の作業が求められている。こうしなければ、あれをすべきだったという声が鳴り響く。そうじゃない。何がしたいのか、何をすべきなのか。ほんとうにだいじなものは何か。目の前の憎しみに心を動かされていない?義理にとらわれて自分のほんとうにしたいことを我慢してはいない?

 さて、恥ずかしい独白はここまでにして、11月の飲食まとめです。

 

①2019年11月2日 うちわ海老を茹でたのと、ハッカクのアクアパッツァシホウチク炊いたん

 スーパーでうちわ海老が売っていたので買った。横に平べったい海老。まだ生きていてボウルにあけると尻尾をべたんべたんと振る。気持ち悪い。これを塩ゆでして食べる。湯を沸かす。塩を適当に入れる。流水で洗った海老を熱湯に入れる。5分程度茹でる。それだけ。頭ごと縦半分に割っていただく。初めて食べたけど、伊勢海老や車海老に比べるとちょっと身が柔らかいかな。鍋の塩の具合もあるけどちょっとしょっぱくて、えぐみみたいなのが舌に残る感じ。味噌も伊勢海老のほうが幾分濃厚。伊勢海老より美味いって記事をみかけたもので…。でも海老食いたい欲はじゅうぶんに満たされた。おおぶりの海老は人を幸せにするな。そのあと殻は味噌汁になりました。

 ハッカクは頭を残したままエラと内臓を抜いて、背ビレ腹ビレは背側と腹側の皮ごとすいてしまう。そのままでは長くてフライパンに入らないので半分に切る。オリーブオイルをフライパンにしき、潰したニンニク1片を入れて弱火で熱し香りが立ってきたところで魚を投入。プチトマト(黄色、赤色)を手でつぶして投入。味付け用の塩適量をふりかけて水を投入し蓋をして蒸し焼きにする。私はアクアパッツァは絶対に白ワインを入れない派。魚のほかに余分な旨味をいれたくない。酸味とかエグミが入っちゃうのが嫌。魚の中心部まで火が通れば蓋をあけて、器に盛り、刻んだイタリアンパセリを振りかけて完成。シンプルで魚の味が良くわかる料理。人に出すには簡単なわりに派手に見えていいよね。ハッカクの身は上質な白身。繊維に沿って身がほろっととれるが肉質はぎゅっとつまっている。脂ものっている。味わいは濃い。ホウボウに見た目がにているからといって同じ味と思っていると、そのしっかりした味に驚くはず。また食べたい。

 シホウチクはタケノコの一種。たぶん某油そば屋のトッピングに入っているあれだ。ふつうに出汁(塩、みりん、少しの醤油で味付け)で煮含めて鰹節ふって食べた。えぐみなく、やわらかい食感が美味しい。春のタケノコのような力強い生命感はないかもしれないけど、まあうまい。

 

②2019年11月16日 マテ貝、クエ刺身、アンコウ鍋、アップルパイ

 マテ貝がスーパーに売ってたので買った。塩ゆでして食べるとうまいけど香りが…。濡れた犬のにおいがする。たくさんは食べれないね…。調べたら匂いをとる方法はいくつかあるようだ。また出会ったら食べよう。

 クエ刺身。そんなおおきいクエではないんで、脂がのっているわけでもなく淡泊な味わい。これならアサツキとか小葱を巻いてポン酢と紅葉おろしでいただきたいかも。刺身パックで売っていたものだが、丸のまま売っていたら年末の鍋料理にもいいかも。一尾7800円。

 アンコウ鍋。買ってきたアンコウはさっと湯引きする。冷たい水にとって、キッチンペーパーを敷いたバットに移し、丁寧に一個ずつさらにキッチンペーパーで水気を拭く。お皿に盛って準備完了。水から昆布を煮出し、沸騰する前に取り出す。アンコウを入れて、野菜も入れて火が通ったら食べるだけ。エラも皮も胃袋もみんな食べる。火が通った鮟肝をポン酢にといて食べる白菜や身は最高。締めはうどんでした。冬が近づいてきたことを実感した。

 アップルパイはスーパー食品売り場コーナー内のベーカリーの出来合いもんですが、温めてサクサクを復活させてからバニラアイスと食べるとうまい。

 

③2019年11月24日 牡蠣と鶏肉とキノコのグラタン、焼きリンゴ、リンゴのシロップ煮

 グラタン、作ってでも食べたくなるならもう冬ですわ。それなりにめんどくさいので…。牡蠣は片栗粉を溶かした水でよく洗い、水気を切っておく。鶏もも肉は一口大に切ってフライパンで皮面だけ焦げ目がつくまで香ばしく焼き取り出しておく。フライパンに残った脂で玉ねぎをじっくり炒める。玉ねぎがしんなりクタッとしたらこれも取り出す。フライパンを拭いて、新しいバターを入れ、舞茸、ぶなしめじを炒める。きのこ類

を取り出して、牛乳をフライパンに注ぎデグラッセする。じゃがいものスライスを入れ、5分程度煮込みじゃがいもが柔らかくなってきたら(煮崩しちゃいけない)、生の牡蠣、鶏肉、炒めたきのこ類、生スライスのマッシュルームを入れて煮込む。

 同時並行でホワイトソースも作ってますよ。鍋にバターを弱火で溶かし、泡がふつふつ立ってきたら小麦粉を入れて炒める。粉っぽさがなくなるまでって言うけど、家で作るならそれよりもう1段階進んで、薄く茶に色づくくらいまでやっちゃっていい。香ばしさがでて美味しい。真っ白なものは美しいが、いつもの家ごはんなら無用じゃろ。

 さて、ホワイトソースを延ばしていこう。牡蠣やら鶏やらを煮込んである牛乳スープをお玉で少しずつホワイトソースの素に注いですかさず混ぜる、を繰り返す。火は落としていていい。十分に伸び切ってトロトロになったら具を投入してさらに混ぜる。塩と胡椒で味を整えて、もう一度火にかけてソースは完成。

 あとはグラタン皿に盛ってチーズをかけてオーブントースターで焦げ目がつくまで焼くだけ。出来上がり。牡蠣と鶏とキノコの出汁が滲み出したホワイトソースは超うまい。

 まあ、ハイカロリーですわ。バターの油脂分と牡蠣と鶏の旨味の暴力。ほんとうは牡蠣だけか鶏だけかにするのが分を弁えるというものだが…。こういう強欲なところがいろんな失敗の元なんだろうな。いつもの飯はもっと、削ぐところ削いで、美味しすぎなくしなきゃ…と思いつつやらかしてしまう。悪い癖だ。

 食後には2種に調理したリンゴを。リンゴ飴なんかにも使われる小ぶりのアルプス乙女という品種を焼きリンゴとシロップ煮で。作り方は簡単。洗って水気を拭き取ったリンゴにバターを乗せてオーブントースターで40分程度焼けば焼きリンゴ。砂糖水で煮たらシロップ煮。

 生で食べてみると、小さいながら立派にリンゴだが、甘みはそこまで強くなく、食感はちょっとボソボソ。そのままでも美味しくはあるけど、加熱処理したほうがいいと感じた。(ただし表面を飴で覆う調理法は天才を感じる。甘みと食感を飴でなんとかしちゃうところ。)焼きリンゴは甘みがぎゅっと凝縮されて、香ばしさもプラスされて食感はねっとり。シロップ煮はシャクシャクの食感残しつつ、柔らかく仕上がる。バニラアイスを添えて食べる。甘いものはあまり作らないけど、これくらい簡単なら話は別。

 

④2019年11月29日 友人の店のプレオープン

 招待されて行った。事前に知らされていた情報よりずっといいものだった。

 事前に知らされていた情報とは言葉で語られていたテーマとかコンセプト。意識高い感じが独り歩きして、統一感のない印象を受けていた。けどそんなのは杞憂だった。実際に行ってみると内装の木々の質感とか、椅子の座り心地とか、そういうのが説得力を持つ。手で摘んで食べるサブレの味が、スープの味が、器のひとつひとつが説得力を持って迫ってくる。居心地がいい。外は大都会。対して店内は落ち着ける空間とサービスと料理とお酒が出来上がっていた。

 これはどういう事態なのか、考えている。

 僕の想像力の欠如?

 プロの仕事レベルを僕が知らなかっただけ?

 でもテーマやコンセプトを謳う文章はあまりいいものとは思えない

 ひとつには文章も知識と技術であること。その道の訓練を積んでいなければできないのは当たり前。だから良くなくてもなんとかなるんだろうけど、じゃあ、彼らは何でつながって居心地のいい空間と時間を作れるの?そこがわからないのだ。

 複数人で何かを成すにはコミュニケーションが必要だ。その最大のツールは言語であるはずだ。ひょっとしたらこれが予断なのかもしれない。

 今後僕はずっと引き裂かれていくんだと思う。

 

 

11月は以上です。