暖かい闇

酒と食事と過去

俺は駱駝じゃねぇ。あなたとは違うんです。

 今日、仕事を辞めようと決意した。

 条件さえ合えば別の職場に移ってしまおう。幸いお誘いは来ている。いや、条件が合わなくても、生活できればいいかな、と思う。

 仕事が合わない。いまの職場が合わないのか、仕事そのものとそもそも合わないのか、わからない。そもそも僕がなにもできない無能なだけかもしれない。

 上司は死ねと思う。仕事場に来ると思う。何か指摘を受けるとより強く思う。

 僕にだって得意なこともあると思う。人より優れている点もあると思う。でも仕事とは関係ないようだ。まったく、もううんざりだ。

 ニーチェは約束と記憶の能力がルサンチマンの始まりであると書いた。過去に記憶したこと、未来に約束が果たされること、約束と記憶の能力こそがルサンチマンの源泉であると。仕事は記憶と約束の能力が大事だ。それがなければ社会人失格だ。上司に仕事とはそういうものだと言われた。誰かと約束したことを未来に執行すること、すなわち常に負債を抱え続けること、これが社会人として働きつづけることらしい。常に、肩に、心に重しを抱えていることが美徳である。死ねばいい。記憶と約束の能力に縛られて、人はルサンチマンに囚われていく。しかしそれを美徳であるというふうに解釈しだす。人はそうして駱駝になる。うおおおおおん、俺は獅子だ。ライオンだ。サバンナを駆る、孤独なライオンだ。殺す、殺す、殺す、そういう気持ちでいると、私もかろうじて仕事ができる。

 仕事をするこということは、誰かから依頼を受けるということ、依頼を受けるということはその依頼を遂行することが求められる。それは、職場で日常ありふれた、これコピーしといてレベルのことから生じる。ここからしてもうクソ。コピーとりたきゃとる。でも俺はコピーをとりたくない。けど、約束しちゃったからとる。そんな馬鹿なことがあるか!細かい細かいあれこれが、すべて記憶と約束に縛られている。

 こういうのがクソだっていってるの僕は。

 どうやったら自由になれる?どうやったら自由になれる?

 

 そんなことより、今楽しいことをしませんか、念仏唱えて踊りませんか、南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏