暖かい闇

酒と食事と過去

食事についての考察 -外食とおうちごはん-

こんばんは。
クーラーの効いた部屋から出られませんね。

ハレとケという分析概念は聖/俗概念よろしく問題含みで、論者によって定義が変わるうえ、一般にもある程度膾炙しており俗流に使われるゆえ、個々の用法と学説史を追うことなしには個人的にはあまり手を出したくない用語なのですが、少なくともハレとケについて扱うのに通時的観点を抜け落とし、それぞれを固定的なものと見做すことには反対したいと思います。ハレをたんなる非日常、ケを日常と定義し、日本人の生活様式、ひいては思考様式がそれに規定されてきたと述べるだけでは、なんでも入れ込める箱を用意しただけに過ぎず、概念のゴミ箱を用意しただけと言えるでしょう。過去と現在を両方睨む歴史の目を持ち、いま使おうとする用語の定義を画定してからでないと使うのは怖いですね。うっかりすると懐古趣味や教条主義のためにハレ/ケが使われかねないですし、そういう事例は少なからず見ます。

さて、自分でハードルを上げてしまったのでハレ/ケを使って食事について何かを論ずるのは未来に先送りして、差し当たり外食とおうちごはんの違いとおうちごはんの利点について考えたいと思います。
これについては先達の説明を拝聴しましょう。土井善晴先生です。ウェブ連載の「家庭料理のおおきな世界」で土井善晴は「料理屋の料理」と「家庭料理」の違いを説明しています。

ほうれん草をのおひたしを作るのにも料理屋では……
「土井 プロはほうれん草をただ茹でて、おひたしにしただけでは叱られますから。ですから昔の料理屋というのは、たとえばほうれん草ならそのアクをぜんぶ抜いて、だしの味と入れ替えるような仕立てをして、提供してたんです。」
「土井 かつてはそこまですることによって、「やっぱりプロはおいしいね」とみんなが家庭との違いをたのしんでいました。
ですから料理屋の料理というのは、素材の見た目は活かしてますけど、味は総替え。
それが料理屋の仕事だったんです。
昔はいまより家庭で明らかにうまいもんを食べてましたから、料理屋はそれ以上のことをしないとダメだったんです。」

一方家庭料理では……
「土井 家庭では、やろうと思えばとにかく新鮮な材料を使えるんです。
自分で野菜を作る人もいるくらいですし。
そして、マーケットで買ってきた新鮮なものを、冷蔵庫にも入れずにトントンと切ってサッと湯がくぐらいなら、不味くなる暇がないんですよ。」

https://www.1101.com/doiyoshiharu/2017-01-03.html
参照

これはかつての日本料理の説明であり、必ずしも現代に当てはまるものではないこと、現代においては「家庭料理が地盤沈下」し、その領域を料理屋が担うようになったこと、また、日本の料理についての説明であり諸外国と比べるとまた事情が異なることに注意して読む必要がありますが(詳しくは「家庭料理のおおきな世界」を読んでください。この移行は割烹料理店の誕生(@大阪)とも関わっているでしょう。料亭から割烹へ、仕込み料理から出来立ての料理へという移行。笹井良隆編著『大阪食文化大全』参照)、家庭料理の利点を説明している点で現代にも通用します。すなわち、家庭料理では新鮮な食材を使って、作りたてのものを出せる。その点でおおきな可能性がある。(一般的なスーパーの流通過程を考えると必ずしも採れたて新鮮とまで言えないかもしれませんが、それについては知識不足ですしここでは措きます。うちの近所の八百屋やスーパーはわりと充実しているのでそういう悩みがあまり無く、これは贅沢かもしれませんね。)

家庭料理でも目出度いときなど手の込んだ料理は作れますし作りますが、料理屋の料理と対比したときにその本領を発揮するのは、日頃の食事に、シンプルな調理法で素材の味を生かした料理を供するときでしょう。
いまは外食産業が極めて発達していますから、敢えて家庭料理の良さを見直すとするなら、季節ごとの食材を買って、適切に調理できること、また日頃の食事だからこそその素材の違いを感じ取れることではないでしょうか。大根一つとっても、寒くなってくると甘くなってきたね、とか、鰹なら初鰹と戻り鰹で脂のノリが違うね、とか、家庭料理でも、家庭料理だからこそ感じ取れる料理の楽しみ方があると思います。
(まあ、上記は言ってしまえば現代において料理屋さんでもできるわけで、家庭料理にこだわる必要はないんですがね。それに食べる側がそれを求めているのかという問題も。「敢えて」家庭料理の本領を見て、料理屋との棲み分けを考慮し良さを見出すならという話です。また別の観点から家庭料理を擁護したいのですが、それはまた別の機会に。)
この件に関しては土井善晴に全面的に賛成なので先生の主張の繰り返しになってしまったかもしれません。ご容赦ください。
弊ブログを読んでくださった方には、ぜひ「家庭料理のおおきな世界」と『一汁一菜でよいという提案』を読んでいただきたいと思います。

土井善晴先生については、柳宗悦ら民藝と家庭料理との関わりをそのうち書きたいと思っていますので乞うご期待。