暖かい闇

酒と食事と過去

禁酒のおはなし

禁酒することにした。期間限定2月中のみの禁酒月間だ。いつも酒ばかり飲んでふらふらしているので、私を知っている友人は禁酒してるというと大爆笑する。ご飯を食べに行って僕がウーロン茶を頼むと笑う。こちらはいたって真剣なんだが。禁酒の理由は、まあ複合的なものだ。いろんなことがうまく行かなくなって滞っているとき、願掛けで禁酒する。体調を崩す、仕事で失敗する、お金の要り用がある……など、いろいろを撥ね退けたいから、強い心を試す。普段の僕は心が弱いので、強くありたいときにときどき禁酒する。だいたい2年に1回くらいは短期の禁酒を実践している。

なんだかんだ2月に入ってから一滴もお酒を飲んでいなく、はやくも不思議な感覚に襲われはじめている。酒があまりにも身近にありすぎた結果、思考と現実とのギャップが生じている。
昨日は友人たちと飲みに行ったのだが(もちろん僕はソフトドリンクを飲む)、ふと気づくと、この飲み会が終わって最寄り駅についたら馴染みの店で一杯(酒を)飲んでから家に帰ろう………などと考えている。気を抜いたとか、意志が弱いとかじゃなく、気づいたらそういうことを考えてしまう。そういえば飲みたい酒があったな、〇〇日にあそこであれを飲もう、きっと美味しいはず………だとか、〇〇日には〇〇さんとあの酒を飲んで料理はあれを合わせよう……だとか、そういう酒にまつわる想念が自然と湧く。これはもう勝手に湧いてくるもので、止めることができない。意識を数秒、あるいは数分乗っ取られ、禁酒をしていたことに思いが至り、想念を打ち消す。その繰り返しである。現実には飲めないが、思考は、心は、酒を求める。飲めないのが分かっていても、いつもそばにいて、応えてくれた酒のことを考えてしまう。階段でもう一段あると思って踏み出したがそんなものはなく転ぶ、みたいなことを頭の中で繰り返している。
酒を飲むことがすでに心の習慣になっており、まるで自分の本性上そうするのが当たり前であるかのように思考してしまう。まだ行為には至っていないのが幸いである。数年前、禁酒を心に決めて、2日で失敗したことがある。デパートのリカーショップで日本酒の無料試飲をやっており、飲み、鑑賞し、一言二言批評し、買うかどうか迷ったところで血の気が引いた。禁酒中だったのだと。愕然とした。行為に直結することもあるのが怖い。

さて、禁酒して、あるはずのものがない生活を始めると、一言で「飲酒」といっても複数のレイヤーにわかれているらしいことがわかってきた。「飲酒」という一言に雑多に放り込んできたものの肌理が見え始め、いかに自分がいい加減に酒と向き合ってきたのかが見えてきた。
デパートでついうっかり飲んでしまった飲酒。この経験は酔うことを目的としていなくても、味の鑑賞を目的としていてもそれは飲酒、ということを僕に教えてくれた。
昨日は2次会を終えて街を歩きながら「まだお酒飲みたくならないんですか?」と聞かれて「お酒を飲んでいないから理性が保たれており、お酒を飲みたい気持ちを持たないままでいられるから飲むのを我慢する気持ちも変わらない」と答えたが、ふだんは酒を飲むために酒を飲んでいるのだということに気づいた。お酒を飲むといい気分になり、もっといい気分になるためにもっと飲みたくなる。みんなといる時間の楽しさを、酒でもっともっと増幅させたいがために飲む酒を友人から教えられた。
飲み会が終わって馴染みのバー(に結局行った)に入り、ジンジャーエールを飲みながら、楽しい気分を落ち着けるため、一日を振り返るために飲むための酒のありがたみを知った。
家に帰ってストックしてある酒を見たら、嫌なことを忘れるための酒、寝るための酒だったなと過去の自分を振り返った。物足りなさを埋めるための酒。
いろんな局面で、いろんな目的を持って飲酒が行われている。それを忘れて、酒、酒、酒、となっていた。酒がいろんなことを解決してくれるように思っていた。それぞれの目的に適う手段は本当に酒なのか?真剣に考えていなかったことがわかってきた。
ひるがえって、普段の自分の生活の怠惰さやいい加減さにも思いが至る。


とりあえずわかってきたのはこんなことだ。また発見があったらレポートしたい。