暖かい闇

酒と食事と過去

2023年2月4日 飲食日記 洋食屋さんに行った

 2日前、友人と中目黒にご飯を食べに行ったところ、信号待ちで立ち止まった私たちの前を手をつないだ母子が通り過ぎていった。少年はひとりでしりとりをしており、一部聞こえた箇所が、曰く「うなぎ → 銀色 → ろくろ首」であった。私たちは狙っていた洋食屋が予約で満席になっていて入れず、失意のうちに駅に戻る道中だった。目当ての店には行けなかったが、「うなぎ → 銀色 → ろくろ首」が偶然聞けただけでその日は儲けものだったと思う。うなぎは成魚になると銀うなぎと呼ばれ、光沢が出てくる。ろくろ首は形状がうなぎに似ている。このろくろ首、メタリックな感じがしないだろうか? おもしろい。あの少年、意識してそういうイメージを繋いでしかもしりとりをしていたとするならば、なんと明敏な言語感覚を持っているのだろう。都会には賢い人がいっぱいいるのだなあ(こなみかん)。ついでながら、私もその場でとっさにろくろ首に続く単語を頭のなかで連ねてみた。「毘盧遮那仏東大寺の) → 積み木崩し」と2単語が転がり出てきた。我ながら酷いものである。金属色が肥大化し、そして家庭が崩壊した。どうやら私には不意に聞こえた子どもの声のうちに啓示を読み取るだけの魂の器がなく、ヒッポのアウグスティヌスにはなれないらしい。

 今日は銀座の煉瓦亭に友人と行ってきた。今日も最初はリベンジで中目黒に行ったのだが、たいへんな行列で断念した。すぐに日比谷線で銀座に移動した。煉瓦亭も並んでいたが、席数も多いし、回転も速いだろうということで待つことにした。中目黒の仇を銀座で討つ。もはや中目黒という街に嫌われているのかもしれない。私も嫌いだ。(と言いつつ中目黒周辺のとても美味しい店に複数行っているのでこれだけで邪険にするのもバチが当たる。リサーチ不足は自分のせいだ。でもお腹が空いているときはそういうふうに思ってしまうよね。)

 注文したのはオムライス、ハヤシライス、ポークカツレツ、カキフライ。前回行ったときも思ったが、やはり煉瓦亭の揚げ物の衣は素晴らしい。よーく近づいてポークカツレツの表面を観察してみると、衣が立ち上がっているのがわかる。これは関東ローム層の霜柱である。(関東ローム層は霜柱ができやすいのだ!)見た目だけではない。食感もだ。冬の日の朝に霜柱を踏みしめるような、シャク、シャクという儚くも軽快な食感は、他には類のない、そしておそらく真似することの困難な老舗の秘術のなせる技である。そう、霜柱のできやすい関東ローム層の霜柱から着想を得、西洋料理コートレットを改良して生まれた食べ物が煉瓦亭のポークカツレツだったのである。東京の土壌の特性あってこそトンカツは生まれたのだった。東京で生まれたことには必然性があったのである。(すべて嘘。)

 カキフライも同様に軽快な衣だった。タルタルソースは塩と酸の穏やかな上品な仕上がりで、素材の味を活かしたいという気概を感じる。付け合わせには、ポテトサラダと、キャベツ主体でキュウリとニンジンが少し入ったサラダが添えてある。この一見なんの変哲もない野菜のサラダが絶品だった。ひと手間、フレンチドレッシングで和えてあり、コールスローのようなサラダだ。ふんわりと和えてあるため軽い。ドレッシングの油脂で全体をまとめて複数の野菜に一体感を生みながら、咀嚼すると野菜の食感と味がわかる、これまた塩気と酸味が抑えられた上品な味わいで、この付け合わせのサラダだけボウルいっぱい食べて帰っても満足だろうと思えた。老舗かっこいい。

 ハヤシライスもおもしろかった。限界まで色を付けただろうブラウンルゥの香ばしさが特徴的だった。いや、香ばしさ? あるいは人によっては焦げていると感じたり苦いと感じたりする場合もあるだろう。一口目、人間の不快の閾値の下限の下のその上辺をさらっと撫でて去っていき、すぐさま深みやコクに落とし込んでいく味の変わり身の速度に驚いた。さて、このような味の冒険を新規開店の店の料理でできるだろうか?と考える。唸る。エッヂを攻め続けることができるのは開拓者であるからなのか。西洋料理への冒険を現今に伝えるハヤシライスは、堂々たる老舗の風格を顕していた。

 私たちは3階の座敷に上がって食べていたのだが、サービスの若いお兄さんが印象的な臙脂色と橙色の中間のような色の靴下を履いているのが目に留まった。そのお兄さんが配膳をするときに座敷に上がるので靴下の色が見える。すぐに目の前の友人に気づいたことを話したところ、「あれは煉瓦の色だよ。ここは煉瓦亭なのだから。」とのこと。偶然かもしれないが、妙に合点のいく説明でおもしろかった。白いワイシャツと黒のスラックスに黒いベストの装いはクラシックな洋食屋にふさわしい店指定の支給品なのだろうが、靴下はどうなのだろう。あの店員さんが自主的な判断でレンガ色の靴下を選んで職場に履いてきているならば、素敵な人だし、素敵な職場だな、と感じた。